北原白秋のひとり言

たんぽぽ

「影あってこその形」とは、久保田万太郎の言葉だ。
影とは畢竟余情である。余情なくして俳句は存在しない、俳句の命は、余情にかかっている。万太郎の俳句はまさに影がある。

白秋の詩を読んで思うのがこの「影」だ。「たんぽぽ」の詩は、伝習館中学の文学少年が命を絶った悲しい詩である。親友の名前は中島鎮夫。ペンネームは白雨(はくう)と言う。

この中島は、ロシアのスパイのぬれぎぬを着せられて自害した。親戚の家の押し入れで、喉を短刀で突いた。この知らせを白秋は教室で知る。泣いて白秋は駆けつけたと言う。

友の遺骸を戸板に乗せ、タンポポの咲く野道を家まで運んだと言う。
この体験を詩にした。

「たんぽぽ」
あかき血しほはたんぽぽの
ゆめの逕(こみち)にしたたるや、
君がかなしき釣台は
ひとり入日にゆられゆく……

あかき血しほはたんぽぽの
黄なる蕾を染めてゆく、
君がかなしき傷口に
春のにほひも沁み入らむ……

あかき血しほはたんぽぽの
昼のつかれに触れてゆく、
ふはふはと飛ぶたんぽぽの
円い穂の毛に、そよかぜに……

あかき血しほはたんぽぽに、
けふの入日もたんぽぽに、
絶えて声なき釣台の
かげも、霊(たまし)もたんぽぽに。

あかき血しほはたんぽぽの
野辺をこまかに顫(ふる)へゆく。
半ばくずれし、なほ小さき、
おもひおもひのそのゆめに。

あかき血しほはたんぽぽの
かげのしめりにちりてゆく、
君がかなしき傷口に
虫の鳴く音も消え入らむ……

あかき血しほはたんぽぽの
けふのなごりにしたたるや、
君がかなしき釣台は
ひとり入日にゆられゆく……

その後、白秋は中学を中退し、父に内緒で上京。本格的に文学の道を歩み始めた。
ニ行目の《君がかなしき傷口に/春のにほひも沁み入らむ……》は絶唱だと思う。